741709 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

オセロ

ちーちゃん

私は24歳の7月10日にマンションの屋上から飛び降りました。

落ちたのか、病気の解離障害で飛んでしまったのかは分からないのです。

それで入院しました。

初めはICUに何日かいました。

私は初めは記憶がないです。

それから一般病棟に行きました。

それでも、初めのうちはまだここからでも飛び降りようと

ベッドの柵をくぐってでも飛びたいと思いました。

それぐらい生きてることが嫌でした。

なんで嫌なのか?

それはいっぱいの理由があるだろうけど・・・

飛び降りをした理由は摂食障害が大きかった。

後はその前に私を騙した男で私は自分がどうでもよかった。

生きてることすらどうでもよかったんだ。

幸せになりたいと願ったのに病気につけこまれて騙した人を

許すとか以外に私は悲しかったし・・・

もう、彼氏や友達のところに行こうと思った。

この世の中に生きていることへの意味も希望もなかった。

それから手術があって。

ICUに意味の分からない看護婦の態度に怒りを覚えて

病棟に戻りたいと泣いた。

それから病棟に戻ったら看護婦さんたちは誉めてくれた。

私は24歳なんて精神ではなかった。

でも、もう1回手術するんだって言われた時泣いた。

もうしない。と叫び、最後には幻覚が見えて転院問題になった。

どうにか2回の手術を受けた。

先生も看護婦さんも優しい人だから頑張ったねと言ってくれた。

それからもしばらく寝たきり。

天井を見つめるだけ。

何もしたくない。

別に動けなくてもいいと思った。

でも、主治医に会いたいと思った。

整形の主治医から「車椅子に介助つきで乗れたら退院していいよ」と

言われた。

頑張ろうと思った。

でも、動かなかった。

帰りたいと叫んだ。

看護婦さん達はそんな私にいつも笑わせることをしてくれた。

そして車椅子に乗れるようになって私は笑うようになった。

笑って看護婦さんに話すことを始めた。

無口だった私がしゃべった。

そして、退院近くになってワーカーさんが来た。

訪問看護を受けるということになった。

面倒だと思った。

そんなものはいらない。

どっかの分からないおばさんが私に指示してくるのか・・・と思った。

私は精神的なことを話したくなかった。

分からない人と話したくなかった。

顔合わせを初めにしたほうがいいよって言うことで・・・

退院まじかになって顔あわせをした。

ドキドキした。

私はやっぱり無口になった。

親とあちらの社長さんと担当の人と看護婦さんで話をした。

私は意味が分からないからずっと無口だった。

看護婦さんが心配した。

担当になったのが「ちーちゃん」だった。

病室でちーちゃんとしゃべった。

私は何を話していいか分からなくて。

ちーちゃんが必死でいろいろなことを聞いたりしゃべっていたのを

覚えてる。

私はなんか若い人と思った。

そして、退院してすぐに訪問が始まった。

私はリハビリする気がなかった。

もう治らないような体に興味もなかった。

これぐらいでいいでしょ?って思った。

それでも、リハビリの人が来る回数が増えるたびに楽しかった。

なんかしゃべっていた。

年齢が近いのもあっただろう。

でも、精神的病については話さなかった。

話せなかった。

駄目だと思った。

常に笑顔でいようと思ったし、それが普通だと思った。

リハビリの日の前に大量の薬を飲んだときもあった。

それでも次の日はしっかり笑った。

知られないように。

リスカもしていた。

整形の看護婦さんにだけ泣きついた。

もちろん、ちーちゃんにも内緒にした。

そして、私の家庭環境も絶対に言わず幸せな家庭だと思われるようにした。

実はぐちゃぐちゃでも。

親がケンカしてる日でも私は笑った。

母の暴言や腰を蹴った日も私は笑った。

とにかく家庭は幸せでなんの不自由もない子だというこを演じた。

そうしたかった。

だって、誰も助けてくれないことは知っていた。

福祉士のおばさんも助けてくれなかった。

「そういう家庭もあるけど、病気にならない子もいる」と

言った日から私は信じれなかった。

私は母が料理してるとちーちゃんにも言った。

ウソをついた。

母が料理することなどない。

私はずっと父の料理で育った。

母の鬱やギャギャな声のことなど言わない。

これを話したのは整形の看護婦さんだけ。

でも、この現実を助けれる人はいない。

みんな自分があるんだから。

それでも、私はその家庭にいてもちーちゃんとかがくる日は

楽しかった。

笑えた。

なんか普通にしゃべっていた。

ちーちゃんが彼氏さんの話をしてもいいと思った。

私は恋愛話は嫌いというか苦手だったけど

ちーちゃんはなんとなく納得した。

私は結婚することはないだろう。

それは死んだ彼氏を超える人はいないから。

忘れれないし。

私は一人生きるのだろうと思う。

でも、ちーちゃんには幸せになって欲しいと思った。

きっとちーちゃんなら、幸せな家庭を作りそうだ。

良いお母さんになりそう。

いつかちーちゃん達とも別れて私は一人歩く日があると知っていた。

でも、その日がくることが怖かったのはウソじゃない。

認めたくなった。

私はそれでもリハビリをあまり出来なかった。

悪いと思った。

でも、そこに頑張る気力がやはり出なかった。

外を歩き回ればいいのに、一人歩くことも嫌だった。

家にこもりたかった。

今もそうだろう。

安定してきたのに・・・

そして、こんな体になった原因が自殺未遂なのにまた死のうとした。

私はいつまでこういうことをしちゃうのかと思った。

でも、来年という日を迎えたなくないのはウソじゃない。

来年は私が本当は結婚する年だったから。

認めたくない。

私は死ぬ前で結婚式をあげれない。

うらましいとは思う。

でも、私は一人で歩くという道を選んだと思う。

だから勉強してるんだろうし。

ちーちゃんと別れると分かった日に何を書いておけばいいか分からない。

でも、カウンセラーのときと同じように今は大きく言えないけど

「世界一幸せになってね」

と言いたい。

こういう風に幸せになって別れる人がいることは、いいことだよね?

今年も大切な友達を死別として送ったよりさぁ。

でも、どんな別れも寂しい。

でも、そんなこと言っちゃ前に進めないし。

なんたってちーちゃんは幸せになるんだから。

私の過去なんてちーちゃんに話さないし、これからも絶対話して欲しく

ない。

でも、最後だからここに書いておこうと思う。

ちーちゃん、ありがとう。

私と出会ってくれて。

自殺未遂した子の担当になるのは怖かったと思う。

腕みて引いたと思う。

ごめんね。でも、いっぱいガーズルトーク出来たのは楽しかったよ。

私には数少ない経験だったと思うし。

だから、ありがとう。

私も一人で生きれる人間になりたいとは思う。

もう、死を選ばないようにね。









© Rakuten Group, Inc.